
真言密教は自力本願と他力本願の両方を実践する仏教の宗派です。つまり自他力です。
真言密教では自分の努力も大切にしますが、大日如来様や、諸如来様、諸菩薩様の慈悲に頼ります。つまり仏縁を重視します。
真言密教では他力本願として大日如来様や諸如来様、諸菩薩様のご加護を信じ、その力によって救済されることを重視します。これは自己の力だけでは限界があるため、仏の慈悲に帰依し、救済を願うものです。
だから真言密教では現世利益を重視します。。これはこの世で幸せになることを目指す教えであり、健康、長寿、金運、厄払い等、具体的な願いを叶えるために加持祈祷や、ご真言を唱えます。真言密教の現世利益の教えは、現代社会において、仏教をより身近に感じられる魅力的要素と言えるでしょう。
真言密教では浄土真宗の「南無阿弥陀仏」に対し「南無大師遍照金剛」とお唱えします。これは弘法大師に帰依し、唱えることで、大日如来様を信仰することです。
本地垂迹説という言葉がありますが、神仏習合は神道と仏教が融合した思想を指し、本地垂迹説は神仏の融合を説明する説の一つです。この神仏習合の中で、神は仏の仮の姿であり、仏は神の本地であるという考え方です。
神仏習合の発祥の地はまさに高野山と言えるでしょう。高野山には「丹生明神」や「髙野明神」が祀られていて、高野山では「南無大師遍照金剛」の後で、「南無大明神」と唱えます。これは高野山における神仏習合の伝統です。
真言密教は全ての仏様を否定しません。もちろん阿弥陀如来もです。それは阿弥陀如来も含めて全ての仏様が大日如来様の化身として示されることがあるからです。だから必ずしも大日如来様を本尊とする必要はないのです。何故ならば真言密教では全部が大日如来様の化身として捉えられるからです。だから真言密教の寺院によっては本尊が阿弥陀如来や薬師如来のこともあります。
真言密教の立場からするとイエス・キリストや神は大日如来様の教えの一部、あるいはその教えを表現する別の側面として捉えることもできるでしょう。真言密教では大日如来様を宇宙の根源的存在として捉え、その教えは多種多様な形で現れるとみることができるからです。真言密教とキリスト教とは相対立するものではなく、対話の進展が見込めるものなのです。